こじれる大人こども 2024年8月メルマガ

【注意をされるとこじれる大人こども】

齢を重ねるだけで
”大人になれていない残念な人”
というのがいます。

こういった人は歳を取るにつれ
ますます叱られることへの
耐性が無くなってくるようです。

みなさんの周りにもいませんか?

ということで今日のお話しです。

と…
その前に
仏教には六波羅蜜というのがあります。

これは幸せになる為の6つの方法なのですが
布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧

これまで『忍辱』というのを
語ったことがありませんので
この機会にいっしょにお話します。

先日こんなことがありました…。

娘と美術館に行きました。

美術館で作品を鑑賞中に
暑かったので無意識に
扇子で涼もうとしたんですね。

扇子で扇いだその瞬間
展示場のスタッフさんに
”厳重注意”を受けたのですが
その時に私イラっと来てしまったのですよ。

『知らなかっただけで悪気があったわけじゃない…』
『もう少し言い方があるだろう…』
『わかりやすく注意書きしておけよ…』

さまざまな考えが頭をよぎります。

良い大人になって
叱られた感じになったものですから
なんか自尊心が傷つけられた感じになったのですよ。

で、
人間の器の小さい私は
入り口の注意書きやパンフレットに
注意事項がちゃんと書いてあるかどうかを
チェックしようとしたのですよね。

書いてなかったら
文句でも言うつもりだったのでしょうかね…。

おそらく
私と同じような感じになる人も
多いと思います。(多分…)

さすがに
入場料を1300円支払って
マナーを意識していた状態で
注意をされてしまったので
なかなか感情に折り合いがつきませんでした。

とはいえ
普段から私は
イラっとしたり怒りがわいた時は
内省するクセがあったりするので
今回もこの出来事をテーマに
自分のココロと向き合うことにしました。

その時にふと
『忍辱』
という言葉を思い出しました。

侮辱や苦しみに耐え忍び、心を動かさないこと

今回の私の心の動きは
『瞋恚(怒る、激しく腹を立てる)』
といいます。

仏教では
この”瞋恚”というのは
苦を大きくする三毒の一つで
戒めるべきこととして語られています。

苦しみの根本は”我”なのですが
この我を大きくしないことが
大切だと仏教では説いてあるのですよね。

私、忍辱ができていませんね。

ということで
いったん自分の感情を飲み込んで
スタッフの立場で考えてみることにしました。

・もしも扇子が手からすっぽ抜けて作品を傷つけでもしたら取り返しがつかない。
・禁止行為だから速やかにやめていただく必要がある。
・大声は出せない。

となると
少し強めの態度での注意が必要になるのですよね。

そもそも注意を受けるようなことをしている
私に非があるわけで、
それをスタッフが罰則で対処するわけでなく
注意をうながしてルールを教えてくれているわけだから
私が怒る方がおかしいのですよ。

そういった考えにいたったので
最終的には
よい齢をした大人が
美術館でのマナーもわきまえてない
そんな自分を恥じるべきだ。

良い学びになった。

なんて感じに心を落ち着かせることが出来ました。

昔は、目上の人との関係性などに
こういった葛藤からくる学びがたくさんありました。

”忍辱”はこういった経験からから
実感して身に着けていくことのようですね。

”忍辱”
出来てますか?
身に付いていますか?

私…。危うく

こじれた大人こどもになるところでした。

それではまた。