2018年10月メルマガ ~修験道ってなに?~

【2018年10月縁日祭法話】

 

照水院では毎月28日13時より不動護摩供を行っております。

 

今回は大本山の秋季大祭に出仕していたため、
当院の不動護摩の開始時間を19時に変更して行いました。

 

たくさんのご参加ありがとうございます。

 

 

さて、
私は弘法大師”空海”が開いた真言宗のお坊さんなのですが、
その他にも、役小角(えんのおづぬ)が開いた修験道の行者(山伏)でもあります。

 

せっかく大本山主催の柴燈大護摩供に山伏として参加してきたばかりなので、
今日は少しだけ修験道と柴(採)燈護摩についてお話したいと思います。

 

修験道というのは日本特有の信仰形態です。

 

 

神仏習合といって、
『様々な仏様や国籍を問わずいろんな神様は呼び名や現れ方が違うだけで基本はだいたい同じ。』
といったざっくりとした教えが基本にあります。

 

仏教、神道、道教、儒教、地方の土着信仰などがうまいこと混ざり合っています。

 

教えとしては
『形態化されている部分』と、
『なんだかよくわからない』
部分があります。

 

イメージとしては、
みなさんが持っている”陰陽師”に近い感じです。

 


それで修験道とはなにかというと、
『深山幽谷にわけいって苦修練行の功を積みその験徳を顕す道。』
と定義されています。

 

苦修練行(くしゅうれんぎょう)って…。(苦笑)

 

『登山』『山籠り』『護摩』『火渡り』『滝行』『穀断ち』といった感じです。
(イメージどおりでしょ?)

 

そして功を積んで、
験徳(けんとく)を顕すんです。

 

昔はあまりも過酷な修行の途中に、
生命を落とす人も多かったようです。

 

そんな極限状態を作り出す荒行ですから、
なにか超人的な力に目覚めたりする人もいたようです。

 


現代では、
修行で高めた人間性やエネルギー、
得た知恵などを日常生活に活かして行きましょうという感じになっています。

 

つまり、
日常生活がそのまま修行であるということです。

(そう、ずーっと修行がついて回るんです。)

 


修験道の修行者は『山伏』とか『修験者』と呼ばれています。
(法螺貝をプープーやっている天狗の格好をした人たちです。)

 


そんな山伏が集まって、
キャンプファイヤーのようなイメージで祈るのが柴灯護摩です。


宇宙森羅万象を象徴する道場において、
空高く炎を舞い上げ、
大きくは世界平和、五穀成就、天候良順などを祈り。

 


個人の規模では、
参加者それぞれの悩みや煩い、
心身の不調を引き起こすなにか、
人間関係などに不和をもたらすような、
人生における妨げとなるエネルギーを、
神仏の知恵を象徴する炎で焼き尽くしていきます。

 

そしてその修法後の火をならして火生三昧(火渡り)を行います。

 

少し詳しくお話すると、
どちらも”一度自分自身が火葬されて新しく生まれ変わる”という観念で行われます。

 

イマドキの言葉でいうなら、
『今までの私とサヨナラして生まれ変わった新しい自分を生きていく。』
という感じになるでしょう。

 

行事に参加すると1度に2回も生まれ変わるということになりますね。(笑)

 

一生のうちに一度くらいは荒行の体験もよいかもしれません。

 

 


照水院の28日の護摩焚きは、
こういった護摩の規模を小さくした感じで行っています。

(実は私の焚く護摩は修験道の護摩なんですよ。)

 

だからなのか、
・『病気が良い方向に向かった。』
・『素敵な出会いがあった。』
・『復縁出来た。』
・『仕事上のトラブルが軽く済んだ。』
・『キャリアアップした。』
・『夢へのきっかけが出来た。』
というような参加者からのお声をいただきます。

 

きっと神仏のお力が働いて、

 

何かしらが完結して、
新しく何かが動き出す流れが出来ていくのでしょう。

 

参加者の中には、
お会いした時にとてもつらい状態だったかたも、
毎月の護摩祈願に参加されるウチに、
どんどん良い方向へいくようになって、
とても良い表情をなさるかたもいらっしゃいます。

(もちろん、ご本人の努力も素晴らしいのです。)

 


護摩焚きに参加して、
しっかり生まれ変わってみるのもいいかもしれません。

 

自分を変えるためのキッカケとして参加してみても良さそうです。

 

人生をより良く生きていきましょう。

 

本日のご参拝まことにお疲れ様でございます。